カルティエ タンク ~ その尽きることのない魅力について 1
腕時計の本質を突くデザインとして、全ての角型時計の模範といわれるカルティエ タンク。
2024年はタンクの最も象徴的なモデルであるタンク ルイ・カルティエが誕生して丁度100年目にあたる年です。
ここに改めてタンクの100年以上に及ぶ歴史に触れながら、その語り尽くされることのない魅力に迫ってみたいと思います。
第一次世界大戦
1904年にカルティエの三代目ルイ・カルティエは親友のパイロット、サントス・デュモンの為に腕時計を製作、これが世界初のパイロットウォッチ、または世界初のツールウォッチとなりました。
画像:www.cartier.jp
それから10年後にあたる1914年に第一次世界大戦が勃発、その際の軍需が腕時計の需要を決定的なものとしました。
大戦中は作戦遂行のために、司令部や他の兵士との時間の共有が欠かせないものとなりましたが、常に死と隣り合わせの戦場において、都度ポケットから懐中時計を取り出しては時刻を確認する余裕が与えられるはずもなく、そこに腕時計の需要が生まれたのです。
しかし当時の、婦人用の小型懐中時計に粗雑なワイヤーのラグをロウ付けしてストラップを取り付けただけの腕時計は余りにも壊れやすく、実際に時計をプロテクターで覆うなど、様々な工夫を凝らしましたが、それでもとても実用性について語れるようなものではなかったのです。
タンクの誕生
そんな流れの中、腕時計の先駆者であったカルティエが改めて腕時計の製作に取り組んだのは、自然なことだったのかも知れません。
様々なメディアが伝えるところによれば、ルイ・カルティエは1915年、40歳にして軍に招集され、戦場に送り込まれたといいますが、その際に目の当たりにしたであろう当時の最新兵器であった戦車、ルノーFTの力強い姿に、鮮烈な印象を持ったようです。
画像:ja.wikipedia.org
そしてその戦車の姿をヒントとして、カルティエのタンク ウォッチが生まれたといわれてます。
ルイ・カルティエは戦車をモチーフとしたことで愛国心を表現した、もしくは戦車をエレガントな腕時計として再構築することで平和への願いを込めた、などと様々な説が語られているようですが、ともあれ、ルイ・カルティエは1917年に兵役を解かれ、パリに戻って間もなくタンクを発表。
そしてその時製作したプロトタイプの中の1本を、第一次世界大戦中にアメリカ外征軍の総司令官を務め、伝説的な英雄となったジョン・J・パーシング将軍に贈った、といわれています。
初めてのタンク ウォッチ
タンクは第一次世界大戦が終結してから約一年後、1919年に発売されました。
この初めて発売されたタンクは、その名を聞いて誰もが連想するであろう長方形ではなく、正方形を基調とした、より角ばったデザインを持っていました。
画像:www.cartier.jp
すなわち正方形の文字盤を左右から上下に伸びた細長い長方形のケースサイドで挟み、ケースの12時側と6時側もケースサイドとほぼ同じ幅だけケースが伸びた、より簡潔な意匠を持ったものであったのです。
サントス ウォッチとの比較
後にタンク ノルマルと呼ばれることになるこのタンクの原形は、1910年代当時にカルティエが販売していたサントス ウォッチを発展させたもの、ともいわれており、確かに両者には共通して正方形の文字盤が採用されています。
しかしサントスでは当時のデリケートなガラス風防の破損を防ぐ為に、正方形の角に丸みを持たせていたのに対し、タンクではしっかりと角を立たせています。
また風防が割れた際の交換を容易にする為にサントスに採用されていた、ネジ止め式のベゼルも、タンクに採用されませんでした。
これらは戦車のキャタピラのように、文字盤を左右から挟んで上下に伸びたケースサイドよりも低い位置に風防の角を隠すことで、風防が破損する心配を軽減できた事が大きかったと思われます。
またラグについて、タンクでは細長いケースサイドが上下にそのまま真っすぐに伸びてラグの役割も果たすという、サントスよりも簡潔でスマートな手法がとられています。
これによってタンクでは文字盤の幅一杯までストラップの幅が拡大されており、時計本体に対して細いストラップを採用していた当時のサントスよりも、腕上での安定感が向上していたことも付け加えておきましょう。
何故カルティエは腕時計で時計メーカーに先行することが出来たのか
以下は筆者の推測が多分に含まれていますが、カルティエはいかにして時計専業メーカー達よりも先行して、自由に腕時計を創ることが出来たのかについて触れてみましょう。
まず腕時計は手首に装着するものであり、すなわちカルティエの本業であるジュエリー創作の延長線上にあるものとも考えられます。
画像:www.cartier.jp
特に時計製造に熱心であったといわれるルイ・カルティエは、時計を完全にジュエリーの一種と捉えていたのかも知れません。
例えば時計本体にストラップやバックルも含めた腕時計全体の最適化を考えた場合、ストラップが細長い長方形かそれに近い形にしかなり得ない為に、時計本体は角形の方が収まりが良いと考えられるでしょう。
懐中時計が中心であった当時の時計メーカーには生産効率、ケースの気密性保持の2点において不利な角型ケースを作る理由は無かったかもしれませんが、カルティエにとっては宝石にブリリアントカットやバゲットカットが有るのと同じことだったのではないでしょうか。
さらに1910年にディプロワイヤントバックルの特許申請を提出したのも、身に着けるもの、すなわちジュエリーの製作に長けたジュエラーだからこそ、身に着けるとは考えもしなかったであろう当時の時計メーカーよりも遥か先を行くことが出来たのではないでしょうか。
人々が腕時計に求めるものは時代と共に変化を続けていますが、装飾品としての存在価値は、時の経過と共にその重要さを増す一方のように思えます。
カルティエは腕時計を製作するジュエラーとして、身に着ける人を「飾る」ことを当初から強く意識していたのではないでしょうか。
ジャガールクルトとの関係
ルイ・カルティエは常々、カルティエの製品は実用性に加えて、カルティエらしい装飾がなければならない、と考えていたといいます。
これは当然腕時計にもあてはまり、すなわちデザインと同様に、時計としての性能も優れていなければならないことを、当初から強く意識していました。
ルイ・カルティエは古くからパテック フィリップをはじめとする名門メゾン達にもエボーシュを供給していたジャガールクルトの実力に注目していました。
画像:www.jaeger-lecoultre.com
中でもエレガントな時計を作ることに興味を持っていたという、エドモンド・ジャガーとは特に友好な関係を築いており、1907年にエドモンド・ジャガーのムーブメントは14年間に渡ってカルティエ専用とする契約を締結、また1920年には共にヨーロピアン ウォッチ カンパニー(EWC)という新ブランドを立ち上げています。
カルティエの初期の傑作腕時計たちは、ジャガールクルトの協力なくして実現できなかったのかも知れません。
またこのカルティエとジャガールクルトとの友好関係は1970年代頃まで継続、そして2000年以降は同じリシュモングループ傘下のメゾンとして協力関係を復活させています。
タンクの初期のバリエーション
最初のタンクをリリースしてから1930年代に至るまで、カルティエは驚くほどに多彩で優れた作品を連発します。
もしかするとこれもジュエリーのコレクション展開と同様の作業で、カルティエにとっては容易な事だったのかも知れませんが、少なくとも当時の時計に対する既成概念がどのようなものであったかを想像すれば、周囲が全くついていけなかったのも納得できるでしょう。
ここに初期のタンクのバリエーションのうち、代表的なものをいくつか挙げておきます。
1921年 タンク サントレ
その時計はタンクを縦に大きく引き延ばした形状をしており、横23ミリに対して縦が46ミリという、当時は他の誰も思いつかなかったであろう程に細長く、そしてタンク サントレ(Cintrée=「湾曲」の意)の名の通り、手首に沿うように全体が湾曲していました。
これは1989年に登場するタンク アメリカンの原型になったともいわれています。
画像:www.phillips.com
1924年 タンク ルイ・カルティエ
タンク ノルマルの開口部を縦に広げて文字盤を長方形として、ラグの先端からケース側面にかけてを曲面による構成に変更したことで、誰もが知るタンク ウォッチの代表作、タンク ルイ・カルティエが誕生した、のかどうかは定かではありませんが、そのデザインは1922年に固まり、1924年に発売されたといわれています。
画像:www.cartier.jp
ここに繰り返すまでもなく、カルティエにとって作品にルイ・カルティエの名を冠するのは極めて稀で特別なことであり、それだけこのタンク ルイ・カルティエに特別なものを感じた、ということなのでしょう。
実際にその当時、ルイ・カルティエ自身がこのモデルを個人的にも痛く気に入っていたといいます。
1932年 タンク バスキュラント
1930年代にはいつも腕時計を身に着けておきたいとの顧客の要望が高まり、その解決案としてジャガールクルトが1931年に有名なレベルソを発表しましたが、カルティエはまた異なる手法を以て、壊れやすかった当時の腕時計を保護する手法を生み出しました。
すなわちタンク バスキュラントは時計本体がこれを囲む大きなフレーム内で縦方向に反転して固定出来るという構造を持っていました。
画像:catalog.antiquorum.swiss
風防のみならず、12時位置に取り付けられたリューズまで完全に保護する事が可能なこのケース構造は実際に優れたものでしたが、何故かカルティエはこのモデルを定番にすることはありませんでした。
1936年 タンク アシンメトリック
シンメトリーなタンク ウォッチのケースを平行四辺形に歪めたようなケース形状を特徴とするこのアシンメトリックは、文字盤の右上の隅に12時のインデックスがあり、リューズが付いた本来3時位置であった部分に2時のインデックスが来るという、変則的なレイアウトを特徴としています。
画像:loupiosity.com
これは幾つかのメディアが指摘する通り、単にエキセントリックな変わり種を目指したものではなく、当時それなりに需要が見込めたドライバーズウォッチを作りたかったのではないか、という説が有力なようです。
しかしそれであればもっと簡潔な解決策が有ったのではないかと思えなくもありませんが、カルティエはあえてタンクをベースとして、この極めて野心的な作品を作り上げたのです。
カルティエ タンク ~ その尽きることのない魅力について 2
1939年、第二次世界大戦勃発
その後の1936年の末にフランスが金本位制から離脱、1939年には第二次世界大戦が勃発するなど、高価な時計の製作が厳しさを増す中、1942年には一貫して時計製造に情熱を注いできたルイ・カルティエが亡くなってしまいました。
更には決して生産性が高いとはいえない作品が大半を占めた当時の時計コレクションの年産数は300~400本程度と小規模であったこともあって、第二次大戦後のカルティエは一転して時計製造に対して保守的なスタンスをとるようになりました。
外部資本の参入とマスト デ カルティエ
時は流れて1970年代、カルティエは外部資本の参入を受け入れ、やがてそれまで独立運営を続けていたパリ、ニューヨーク、ロンドンの三つの拠点を統合、そして1976年には「マスト デ カルティエ」ブランドを立ち上げました。
「マスト デ カルティエ」は「人々の生活に必要なもの」をテーマとして、これまで富裕層を中心としていた顧客層の裾野を広げ、ビジネスの規模拡大を目指したものでした。
そしてここでカルティエとして初めて腕時計の本格的な量産が開始されたことは注目に値するでしょう。
カルティエの腕時計としてタンク ウォッチは欠かせないものの、それまでゴールドかプラチナのみで製造されてきたタンク ウォッチのコストを下げる必要に迫られたのです。
そこで浮上したのが、ヨーロッパで古くから王族の式典やパーティーなどで使用するカトラリーに使用され、珍重されてきたヴェルメイユ、すなわちシルバーを金箔で覆った素材でした。
こうして生まれたマスト デ カルティエ タンク(=マスト タンク)は、タンク ルイ・カルティエのスタイルを受け継ぐヴェルメイユケースにETAの手巻きムーブメントを採用。
更には従来のローマ数字インデックスのみならず、伝統を重んじながらも、より柔軟な発想による多彩なダイアルのバリエーションが揃えられました。
このマスト タンクはカルティエらしからぬ手の届きやすい価格も相まって、クオーツショックによって時計市場が大幅に縮小していたにもかかわらず大ヒットを記録、世界中にタンク ウォッチの存在を知らしめたのです。
その後もクオーツムーブメント搭載機なども交えながらコレクションの拡充が進められ、2004年までの長きに渡って生産が継続されました。
機械式時計復権の時代から時計ブームへ
1980年代の後半に入ると、豊かさを増した人々が機械式時計の価値を再認識し始めたのをきっかけとして、瀕死の状態であったスイス時計業界が回復の兆しを見せ始め、やがて過去にない活況を見せるようになります。
カルティエも1983年初出のパンテールや1985年初出のパシャなどの新コレクションを加えながら、ミドルレンジのプロダクトを中心とした現代の時計メーカーとして成長を続けました。
1997年 タンク フランセーズ
創業150周年を迎えた1997年、カルティエはタンク フランセーズを発表。
一目でタンクと分かる特徴を残しながらも、ケースサイドにテーパーを付け、時計本体との連続性を強調するデザインのブレスレットを合わせることで、これまでのタンクにないモダンな表情が与えられました。
タンク フランセーズは現代のデイリーウォッチの理想を体現したものとして女性を中心とした大ブームを巻き起こし、その人気を揺ぎ無いものとしました。
Collection Privée Cartier Paris
また1997年にはタンク バスキュラントの復刻モデルを限定でリリース、時計産業の活況を背景として、かつてのルイ・カルティエやエドモンド・ジャガー達による高度な時計製造を復活させるきっかけとなりました。
そして1998年にはハイエンドコレクション、CPCP(Collection Privée Cartier Paris)の展開を開始。
画像:www.bonhams.com
サントスやタンク等の伝説的なモデルから1935年に製作されたタンクのワンプッシュクロノなども含め、2008年までの10年間にルイ・カルティエのチームが遺した溢れるほどのクリエイティビティが次々と復刻されました。
またCPCPにおいては、かつてルイ・カルティエがそうしたように、ムーブメントのクオリティにも徹底的にこだわる姿勢を示しました。
ジャガー ルクルトやピアジェ、そしてオーデマ・ピゲ傘下のルノー エ パピ等で製造されたムーブメントを自社工房で仕上げ直し、これを殆どのモデルにおいてトランスパレントのケースバックを採用して可視化しました。
タンク フランセーズやパンテールなどの大ヒットによって女性の圧倒的な支持を集めたカルティエは、生産数こそ限られていたものの、本物を知る目利きの時計ファンをも唸らせる素晴らしい作品を次々とリリースし、時計製造の幅を更に広げていきました。
その当時、CPCPのプロモーションはあくまで静かに行われ、その新作に多数の顧客たちが飛びつくような事態は稀であったようですが、その芸術性と高い品質で、現在の中古市場においても高い評価を集め続けています。
2009年 マニュファクチュールムーブメントの時代へ
カルティエは2009年、ルノー エ パピの協力を得て、コンセプト設計から自社で行ったCal.9611MCを搭載したサントス100 スケルトン、およびCal.9907MCを搭載したロトンド ドゥ カルティエ セントラル クロノグラフなどを発表し、新しい時代に突入しました。
更に翌年の2010年には設計、製造を一貫して自社で手掛けたCal.1904MCを搭載した、その名もカリブル ドゥ カルティエを発表。
このマニュファクチュールムーブメントへの動きは、1980年代以降、レディースウォッチを中心として成長してきたカルティエが、ムーブメントのオリジナリティにまでこだわることで、メンズウォッチの規模拡大を目指したものでした。
またこのCal.1904MCはその5年後に登場したCal.1847MCと共に、カルティエを中心とするリシュモングループ内のムーブメントメーカー、ヴァル・フルリエを通じて、「リシュモン キャリバー」としてグループ傘下のブランドを中心にシェアされることになります。
そして2012年にはタンク アングレーズ、翌年の2013年にはタンクMCなど、自社製ムーブメントを搭載したメンズ専用コレクションの拡充が図られ、人気を博しました。
2017年 カルティエ プリヴェ
2017年にはカルティエ プリヴェのリリースがはじまり、以降、毎年カルティエの伝説的なモデルが現代的な製造技術を駆使して復刻されるようになりました。
画像:www.cartier.jp
2017年のクラッシュをはじめ、タンク サントレ、トノー、タンク アシンメトリック、クロッシュ ドゥ カルティエ、タンク シノワーズ、そして2023年のタンク ノルマルと、これまでに全7種類が登場しています。
2021年 タンク マスト
2021年にはタンク ルイ・カルティエのスタイルのスチールケースにクオーツムーブメントを搭載した、1970年代のマスト タンクを思い起こさせるエントリーラインのタンク マストを発表。
ソーラーパワーのクオーツや非動物性素材のストラップの採用といったサスティナブルなものづくりへのアプローチは、今やビッグメゾンとなったカルティエの自覚のようにも見えます。
伝説的なセレブリティに愛されてきたタンク
以上に100年以上に渡るタンク ウォッチの歩みについて足早に触れてきましたが、特に大量生産を本格化する1970年代後半まではその全てが大変希少で、限られた人のみが入手出来るに過ぎませんでした。
ここではそんなタンクの愛用者として知られる伝説的な人物を何人か挙げておきましょう。
まずは1930年代から1950年代にかけてのハリウッドのミュージカル映画華やかし時代のトップスターとして活躍した、20世紀を代表するダンサーであるフレッド・アステア。
そしてイタリアに生まれフランスで活躍した俳優、イヴ・モンタンは、根っからの色男といわれ、伝説的なシャンソン歌手、エディット・ピアフや共演したマリリン・モンローをはじめ、浮いた噂が後を絶たなかったことでも有名です。
アンディー・ウォーホルはタンク ウォッチについて、「時間を読む時計としてでなく、身に着ける時計として最高だから着けている」「時間を合わせたこともなければ、ゼンマイを巻いたことも無い」と語ったといいます。
そしてイヴ・サンローラン、しかし彼の手首に有ったのは、意外にもマスト タンクであったといわれています。
その他にもラルフ・ローレンや第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディとジャクリーン・ケネディ・オナシス婦人、モハメッド・アリやスティーブ・マックイーンなど、挙げればきりのない程に、タンク ウォッチは様々な人々に愛されてきたのです。
永遠の名品、タンク
初登場から1世紀以上、その失われることが無い魅力は、とても言葉では表現しきれないもののように思えます。
これを機に、改めてタンク ウォッチに注目してみてはいかがでしょうか。
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