ビザン数字のインデックスが構成するデリケートな曲線美と、緻密なメカニズムが織りなすフランクミュラーの世界。
クラシックかつエレガントでありながら力強さと躍動感に溢れ、一目見るだけで誰もがそれと分かる個性を確立しています。
ここではそんなフランク ミュラーの魅力について、改めて検証してみたいと思います。
天才時計師、フランクミュラー
フランク ミュラーは1958年に時計製造の中心地、スイスのヌーシャテル州ラショー・ド・フォンにてスイス人の父親とイタリア人の母親の間に生まれました。
母親からの影響で幼い頃から骨董品やアンティークウォッチに興味を持っていたフランクはウォッチメーカーを目指し、1975年にジュネーブ時計学校に入学しました。
画像:thegoodlife.fr
フランクは時計学校においていきなり非凡な才能を発揮し、通常3年かけて履修すべき単位の全てを僅か1年で修得したといいます。
この学校において、のちにフランクと同様に独立時計師として名を馳せることになるアントワーヌ プレジウソと共に学び、共に首席で卒業したことも有名なエピソードです。
ちなみに卒業製作として製作した永久カレンダーモジュールを追加したロレックス・オイスターもよく話題に上りますが、同様の作品を製作したのはフランクを含めて複数人いたとする説もあるようです。
時計学校卒業後
ジュネーブ時計学校在学中の優秀な成績と数々の受賞歴のお陰で、卒業後はフランクの許に様々なコレクターやミュージアムなどから希少な時計の修理依頼が舞い込むようになりました。
画像:franckmuller-japan.com
フランクは大手メーカーからの誘いを断り、デンマーク出身の独立時計師、スヴェン・アンデルセンの工房で働きながら時計の修理にあたり、またその傍らで独自の時計製作を行いながら、多くを学びました。
1980年代半ばには独立して工房を構えるようになり、AHCI(独立時計師創作家協会)に参加。
以来1986年発表のフリー オシレーション トゥールビヨンを皮切りに、それまで懐中時計にしか存在しなかった複雑機構を腕時計サイズに落とし込みながら、「世界初」の機構や新案特許を採用した時計を立て続けにリリースして、独立時計師、フランク ミュラーの名を世界中に広めました。
例えば今では一般的と考えられている、文字盤をくり抜くことで正面からも可視化した6時位置のトゥールビヨン・キャリッジを持つ腕時計も、フランク ミュラーが初めて製作した意匠の一つなのです。
共同創業者、ヴァルタン シルマケス
フランク ミュラー ウォッチランドの共同創業者、ヴァルタン シルマケスは1980年代にジュネーブのプラン・レ・ウアットにある時計ケース製造会社にてキャリアをスタートしました。
当時の彼のクライアントには、エリプソ カーベックスのケース製作の為に専門知識を求めたダニエル・ロートや、伝説的なキャリバー89のケース製作への協力を求めたパテック・フィリップなどがいたといわれており、当時からスイスで最高のウォッチメイキングの最前線にいた人物であったことが伺い知れます。
そんなヴァルタンに、若きフランクも少量のケースを発注することがあり、それが二人の出会いとなりました。
1989年の事でした。
その当時は本格的な時計コレクターといえば懐中時計ばかりを集めるのが普通で、特別な腕時計への需要はほとんど無かった為、腕時計のコンプリケーションにこだわるフランクは珍しい存在であったといいます。
「私たちは腕時計の時代に生きている。ハイ・コンプリケーションへの情熱を腕時計に持ち込みたい」と語ったフランクに強く惹かれた、とヴァルタンは後のインタビューで答えています。
マスター オブ コンプリケーション
ある日のこと、ヴァルタンはフランクの自宅を訪れ、グローバルブランドの立ち上げを提案しました。
「あなたはムーブメントの達人で、私にはケース製造と工業化の経験がある。私たちの時計は完全にユニークであり、きっと多くのファンに恵まれるはずだ。」
そしてフランクの既存のコレクションの中でシンスリー・カーベックス(トノー・カーベックス)が最もユニークであることで合意し、これをコレクションの中心に置くことを決めました。
現在のカーベックスコレクションの一部
画像:franckmuller-japan.com
曲面のみで構成されるそのケースは独自のアイデンティティを表現しながらも良好な装着感をもたらし、かつ製造が困難であるが故にマニュファクチュールの技術力を示すことが出来る、と考えたのです。
そして彼らは「フランク ミュラー:マスター オブ コンプリケーション」 を宣言。
このシンプルなフレーズには、イノベーションから一歩も引かないこと、そして技術革新の面において常にマーケットリーダーであり続けることへの決意が込められていたのです。
1992年、フランク ミュラー ウォッチランド誕生
スイス時計業界がクオーツショックから立ち直り、回復に向けて勢いを増すばかりであった1990年代初頭、そのターゲットは年配層に偏っており、このままでは新しい世代を取り込むことは出来ない、これがフランクとヴァルタンの共通認識でした。
彼らはもっと大胆で挑発的な時計を作ることが必要と考え、当時としては衝撃的なディープブルーの文字盤を製作。
90年代に製造されたディープブルー文字盤のモデル
画像:watchland-gallery.jp
これにトノーカーベックスのケースとアールデコのスタイルを融合し、彼らのポリシーである「マスター オブ コンプリケーション」を裏蓋に刻んだファーストコレクションは、とても満足がいくものでした。
最初のコレクションでは、まず自分たちの独創的なプロダクトを知ってもらうこと、そして全てを売り切ることにこだわりました。
しかしブランドの立ち上げ当初は、周囲の反応を気にする余裕はなく、ひたすらに忙しい毎日が続いたといいます。
時計を作り、イベントのブースを作り、顧客に売り込む。
その全てを自分たちで行わなければならなかったのです。
イタリア、日本、そしてシンガポール、香港
当初から大きな反響を得られたのはイタリア市場、そして日本市場でした。
これら2つの国では時計師としてのフランク ミュラーは既に知られた存在であった為、この新しいブランドをすんなりと受け入れてもらうことが出来たのです。
ヴァルタン曰く、「実際にプロモーションの為にフランクと世界中を旅する中で、フランクが生まれながらのコミュニケーターであった事に気付き、フランク自身を広告塔として活動を展開することで全てが上手くいくようになった」
初参加のSIHHにおいては、シンガポールと香港から大きな関心が寄せられ、強力なディストリビューターを獲得することが出来ました。
そしてこれらの4カ国での評判に後押しされる形で、様々な国の市場に次々と参入していくことが出来たのです。
完全に統合されたマニュファクチュール
フランク ミュラーにとって文字盤は、人々が時計を見るときにまず目を引くものであり、時計を見る人の感情的な要素の約6割を占める重要な部品です。
スイス時計業界では長年に渡って、ほとんどの時計メーカーが文字盤専業メーカーからの供給を受けてきた歴史がありますが、フランク ミュラーではそれではうまくいきませんでした。
特にフランク ミュラーのような革新的なブランドにとって、イメージを素早く具現化出来る環境は、クリエイティビティを余すことなくプロダクトに反映させる為に非常に重要です。
しかし外部のサプライヤーに、現在進行中の作業を止めてまでサンプル製作に着手してくれる会社はまずないのです。
フランク ミュラーが当初から完全に統合されたマニュファクチュールを目指し、確立した理由はここにあります。
もうひとりの凄腕時計師の存在
フランク ミュラーを語る上でどうしても外せないもうひとりの時計師として、ピエール・ミッシェル・ゴレイを挙げておきましょう。
画像:ablogtowatch.com
ピエールはオーデマ・ピゲに在籍中、ロイヤルオークをデザインしたジェラルド・ジェンタの仕事を目の当たりにして興味を持ち、その後も外装デザインばかりにこだわり続けた彼に、「どうしてジュネーブの伝統的な時計製造に目を向けないのか」と申し出て、伝説的なグラン・ソヌリを共作した敏腕時計師です。
ピエールは2002年にフランク ミュラーに合流以来、レボリューション2やレボリューション3、そしてエテルニタス メガ4などのハイコンプリケーションの背後に常に存在する頭脳であり、彼のいとこである時計師、ジャン・ピエール・ゴレイと共に世界最大のキャリッジを持つギガトゥールビヨンを製作するなど、もはやフランク ミュラーに欠かす事の出来ないメンバーのひとりです。
マニュファクチュール・フランク ミュラーの代表的なコレクション
トノーカーベックス
風防も含め、全てが曲面のみで構成されるトノー型ケースと洗練されたビザン数字のインデックスが強烈な印象を与える、1992年のファーストコレクション以来、30年以上続くコレクション。
古典を範としながら、それまでどこにも存在しなかったその個性は、そのままこのブランドの個性になったといっても過言ではないでしょう。
ロングアイランド
流麗なビザン数字インデックスと細身のスペード型長短針、そして全体のバランスの妙によって、フランク ミュラーならではの強烈な個性を発するレクタングルウォッチのコレクション。2000年初出。
ヴァンガード
アールデコのストリームライン・モダンに範をを取ったトノースタイルを基本としながらも、ケースと一体化したラバーライニングのストラップやケースサイドに施されたスリットなどの現代的なアプローチを融合することで、全く新しい個性を創出しました。2014年初出。
そして現在も尚、彼らのポリシーである「マスター オブ コンプリケーション」のフレーズが、全てのソリッドケースバックに刻まれていることを、ここに改めて強調しておきましょう。
おわりに
規定概念に捉われることのないことのない自由なクリエイティビティで、名だたる老舗メーカー達がひしめくスイス時計業界で一際の個性を放ち続けるフランク ミュラー。
「天才時計師」という個人に宛てられたサブタイトルだけでは計り知れない、この情熱溢れるメゾンに、今一度目を向けてみてはいかがでしょうか。
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